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代表プロフィール

田草川 恒秋。著述家 。 1977年8月、東京都生まれ、西多摩育ち。山梨出身の父は下町工場で自動車検査と製造を担い、小作産まれの母はパートとありふれた家庭に生まれる。

家庭は放任主義で、小・中・高と絵に描いたような代わり映えのない生活を送り、一度就職するも、1年持たずに10ヶ月で退社。 学生時代のちょっと変わったことといえば、高校時代3年間ボクシングジムに通い、平仲兄弟の五男さんリック吉村さんと一度だけスパーリングをしたのが自慢。 もちろんボコボコに(笑)

昭和41年福生病院から

社会人時代の先輩で芸術家の母袋秀典さんのバックパッカーの話を聞き、オカシクなって感銘を受けて単身渡米。(母袋さんは、拙著の代表作、たくさがわ先生シリーズの扉をお願いしています。) 大雪のシカゴ、おおおお大雪のミネソタで「寒いと痛い」を実感する。アムトラック(大陸横断)で、シアトル、サンフランシスコで様々なカルチャーショックを受ける。

 

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アメリカの安全事情を含め、チップ文化、中国人街の様子、人種、人物、LGBTなど多様性、なにげに当初珍しいスターバックスに入り(1998年当時)、しばらくして渋谷で見たスターバックスでサンフランシスコでスタバに入った記憶がよみがえる。

その後、フリーランスで仕事を受けながら、アルバイトや派遣の仕事を転々とし、結果、パソコン修理、パソコンインストラクション、営業、ウェブ制作のスキルを習得する。

ここでの出会いは、ブリッジコーポレーションの菅原”トッシィ”章考さん、浦上宗治氏。全国展開のCD販売のノウハウ(電話のみで全国の楽曲店に営業を1人でおこなう)や非常識な営業方法(アロハとタオルを腰に巻いたスタイルで現れる。主に浦上氏)を教えてもらう。また、当時乗っていたロードスターを浦上氏に2度ベコベコにされ、保険の大切さを知る。

その後、全国規模のパソコン教室を営むわかるとできるで上位の常連に名を刻み、教室長に大抜擢。が、会社と部下の板挟みとなり、まとめることができず退社。講師のBUNちゃん(硲 弘一)先生には、その後、第二子の出産(本のこと)、もとい2冊目の出版時に紹介してもらう。

 

BUN紹介

 

2003年6月、カインズホーム青梅が出来たのをきっかけに独立。

 

完全個別授業のパソコン教室と出張パソコンインストラクション及び修理をはじめる。

まさに0からの集客で、スキルのみのビジネスのなにもない所からオリジナルのチラシ、名刺、冊子、ホームページを作成し、ポスティングやチラシ配布、ホームページ集客、ウェブマーケティングなど様々な方法に挑戦し、中小企業の集客方法に試行錯誤する日々を送る。

その中で、2004年に使用していたテキストに漫画を加え、出版社に送ったところ、トントン拍子で出版することが決定。その後、4年の懐妊期間を経て、2008年に第一子を無事出産・・・じゃなくて処女作を出版。

4年間、トラブルに次ぐトラブル、Windowsの仕様変更、書籍サイズの変更、難産だったが、パートナーの編集者に恵まれ、技術評論社推薦図書に認定されたほか、4刷りまで増刷し9年以上経った今も売れ続けているロングセラーとなる。

yomi 集客、広報に関しても、中小企業、小規模店舗の数々の閉店を目の当たりにしながら暗中模索する。

・静岡県にある学生服のアリタさんの口コミ
・斎藤一人さんの100回聞きテープ(途中挫折
バズ部
オフィシシマザキの島崎先生のDVD
医療情報研究所
ダイレクト出版
・水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」(?)

などで独自に学習を重る。

15年の経験を活かし、ウェブを中心にした集客方法を中小企業に提供。

2014年より青梅商工会議所、東京都商工会連合会 多摩島嶼経営支援拠点ミラサポの専門家として中小企業に派遣され、公的機関より信任を得るようになり、現在に至る。

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